終電の網棚に残されていたスマートフォンから復元されたログ
涼
すみません、どなたですか。間違いだと思います
00:43
帽子
ドア横で黒いコートを着て、いま顔を上げた方ですね
00:44
帽子
進行方向の一番前の席です。会釈はしなくて結構です
00:45
帽子
先に一つだけ確認させてください。外の景色に、見覚えはありますか
00:48
涼
そういえばさっきから全然停まってないですね。この時間、各停しかないはずなのに
00:49
学生
ですよね。俺が乗ってから、もう50分くらい停まってないです
00:50
涼
50分? この路線、駅間長くても5分ですよ
00:50
帽子
この車両の決まりを送ります。私も前の方から引き継いだものです
00:53
帽子
一。車内では声を出さない。話はこのグループで
00:53
帽子
二。連結部の扉を開けない。窓から隣の車両を覗かない
00:54
帽子
三。アナウンスが流れたら目を閉じ、終わるまで開けない
00:54
帽子
四。窓の外に知った人が見えても、手を振り返さない
00:55
帽子
五。降りるときは、必ず自分の足で、自分のために降りる
00:55
帽子
守らなかった人を見たことがあるだけです
00:56
白コート
涼さん、でしたっけ。プロフィールのお名前
00:58
白コート
深呼吸なさい。まだ何も起きていませんから
00:58
涼
(110にかけた。コール音の途中で切れる。119も同じ。ネットも、このグループ以外ぜんぶ圏外マーク)
01:00
学生
あ、でも家族のトークだけ届くっぽいです。返事は変だけど
01:01
涼
終電乗ってるんだけど、電車が変なんだ。ずっと停まらない
01:04
母
いま二階にいるでしょう。さっき階段上がってく音してたわよ
01:06
涼
うちに誰かいるみたいなんです。俺のふりして
01:10
白コート
この車両、時計とカレンダーだけ調子が悪いんです
01:13
涼
(閉じた。アナウンスは駅名を読み上げてるみたいだけど、知らない駅名ばかりだ。というより、日本語のようで日本語じゃない。なのに、なぜか懐かしい)
01:16
涼
(通路を歩く音がする。座席の前で一度ずつ止まる。俺の前でも止まった。頬に、冬の窓を開けたときみたいな冷気)
01:17
帽子
分かりません。数だけ確かめられているような気はします
01:19
帽子
昔はグループがあったようです。「5号車」
01:21
涼
(窓の反射で車内を確認した。俺、帽子の男、白コートの女、学生。それと一番奥に、こっちに背を向けて立ってる誰か。ずっと同じ姿勢で、揺れてもいない)
01:23
涼
あの、奥に立ってる人は? グループに入ってないですよね
01:24
帽子
その方の話は、しないことにしています
01:24
涼
(窓の外、真っ暗な野原の真ん中に、ぽつんと明るいホームが見えた。うちの最寄り駅にそっくりだ。ホームに女の人が立ってて、こっちに手を振ってる)
01:32
学生
この前ケンカした時のかっこのまま、泣いてて
01:33
涼
(今の駅、確かにうちの最寄りに見えた。でもよく考えたら、あの駅は高架だ。野原の真ん中にあるわけがない)
01:39
涼
(停まった。ドアが開いた。ホームじゃない。土の匂いのする真っ暗な場所。誰も乗ってこない。なのに、床が軋んだ。端から順番に、こっちへ向かって)
01:53
学生
声じゃなくて、ここに書くだけなら、返事にならないですよね
01:56
学生
ごめんね、って書くだけです。既読つけるだけです
01:57
涼
(隣を見たら、学生の席にはもう誰もいなかった。網棚に、学生のリュックだけ残ってる)
01:58
白コート
返事は、口でするだけが返事ではないんです
02:00
帽子
自分の意思で応えた人は、止められません
02:01
涼
昔からって、あなたはいつからこの電車に
02:02
帽子
乗ったとき、車内にはまだ灰皿がありました
02:03
帽子
自分の足で、自分のために降りる。それができる駅は、ひと晩に一度だけ来ると言われています
02:05
帽子
私は、一度も降りようと思えたことがないので
02:06
母
さっきまで、あんたの部屋で誰かが歩いてたのに
03:17
涼
母さん、電気つけて。テレビもつけて。音の大きいやつ
03:18
母
こわいのに、開けてあげなきゃって気がしてくるの
03:21
涼
母さん、頼む、俺の声を思い出して。これは俺だ。こっちが俺だ
03:22
母
あの子、玄関の鍵の場所、知らなかったもの
03:25
母
ちゃんと帰ってきなさいよ。玄関の電気、つけて待ってるから
03:27
涼
(窓の外が白み始めてる。線路の先に、見覚えのあるホーム。今度こそ本物だ。高架で、看板の位置も、自販機の位置も合ってる)
04:32
白コート
お気になさらず。私たちの駅は、もうずっと前に過ぎましたから
04:35
涼
……この電車のこと、誰かに話したら、助けを呼べるかもしれない
04:35
帽子
ただ、もし今夜のことをどこかに書き残すなら
04:36
帽子
最後まで書いてから、読み返してください
04:37
涼
(停まった。ドアが開いた。ホームの空気が入ってくる。朝の匂いだ)
04:38
涼
ありがとうございました。お二人のこと、忘れません
04:39
帽子
忘れてください。それが六番目の決まりです
04:39
涼
(ホームだ。本物のホームに立ってる。足の裏に固さがある。朝焼けで、空が少し赤い)
04:40
涼
(振り返ったら、電車はもう走り出してた。7号車の窓に、帽子の人と白コートの人が見えた気がした。会釈だけした。手は振らなかった)
04:41
このスマートフォンは翌朝、車庫に入った同じ編成の7号車の網棚で発見された。持ち主は見つかっていない
画面には、送信されなかった下書きが一件だけ残っていた。「かあさん それ ぼくじゃない」
END OF LOG